気になる人にお話を聞かせていただきました vol.3 「NPO法人 生涯発達ケアセンター さんれんぷ」中林亜衣さん

あけましておめでとうございます!

本年もきょうだい会Shirabeをよろしくお願いいたします。

 

今年も公私ともにたくさんの出会いがあることを祈って……。

というわけで、2020年最初の投稿は「お話を伺いました」第3弾。

わたしが今いちばん一緒に飲みに行きたい人(笑)の、「NPO法人 生涯発達ケアセンター さんれんぷ(https://www.sanrenpu.com/)」代表・中林亜衣さんにインタビューさせていただきました!

 

 

目指すのは「ごちゃまぜ社会」
NPO法人 生涯発達ケアセンター さんれんぷ 代表・中林亜衣さんの「これまで」と「これから」

 

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“「さんれんぷ」は「三連符」。ひとつの音符では成り立たず、3つの音符があって初めて奏でられる音符です。
三連符ってリズムがちょっと複雑で難しいので、練習しないとすぐには奏でられない。
ひとりで問題を抱え込まないで、一緒に解決していきましょう。一緒に三連符が奏でられるようになったら、みんなで次のステップに進みましょう。
……っていう想いで、この名前をつけました“


群馬県伊勢崎市にある「NPO法人 生涯発達ケアセンター さんれんぷ」。
「相談支援事業所 ぴあ」や、伊勢崎市第1号となる主たる対象を重症心身障害児とする、障害児通所支援事業所「こども多機能型事業所ブーケ」を運営するNPOです。

 

代表を務める中林亜衣(なかばやし あい)さんは、認定音楽療法士という資格をもち、相談支援専門員・発達カウンセラーとして活躍しています。

 

なぜ音楽療法士という道を選んだのか?
NPO法人を立ち上げたきっかけは?

 

バイタリティにあふれ、福祉の道を一直線に前進する中林さんにお話を聞かせてもらいました。

 

家族の困りを解決したい

 

中林さんが福祉の道を目指したのは、小学生のころ。
同居していたお祖父さまがパーキンソン病を発症したことで家族の生活がうまく回らなくなり、ご両親が困っていたのがとても印象的だったといいます。


“当時は老人福祉も今ほど進んでいなくて。ちょうど「福祉」という言葉が世間で広く認識されはじめたころだったんですね。伊勢崎市にも東京福祉大学が設立されたり、福祉の仕事っていうのが学校の職場体験に採用されたり。
どこに相談すればいいのか、どういう制度を使えばいいのか、祖父のことで両親が困っているのを見て、「将来はこういう困りを解決する人になりたいなあ」って思いました“

 

 

音楽療法士」との出会い

 

福祉の道に進むと決めた一方で、中学生になった中林さんは吹奏楽に目覚めます。

 

“すっごく熱い3年間を過ごしました。小学生のころからマーチングバンドをやっていたんですけど、吹奏楽部でトロンボーンと出会って、音楽がさらに大好きになりました”

 

福祉の仕事をするのだからゆくゆくは福祉系の大学に進もうと、1期生となる高崎健康福祉大学高崎高等学校に進学。
高校でももちろん吹奏楽部に入り活動するなかで、「これからも音楽を続けたい」という気持ちが大きくなっていきました。

 

福祉の道に進みたい。でも音楽はやめたくない。

どうすればいいんだろう……

 

と調べていくうちに、音楽と福祉を両立できる道を発見。
それが、「音楽療法士」という資格でした。

 

音楽療法とは、「音楽のもつ生理的・心理的・社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること(日本音楽療法学会)」。


音楽を機能回復や発達を促すためのツール(道具)とし、その子の苦手を「できた!」に変えたり、得意を伸ばしたりする療法です。また、音楽や楽器を介すことで、言葉での会話が不得手な子とご両親のコミュニケーションツールとしても活用します。

 

“福祉大学に進学するつもりで付属高校に入ったんですけど、「これだ!」と思って高2の冬に急に進路を変えました。音楽療法士の受験資格がとれる音大に決めたんです”

 

そこから音楽大学を受験するための猛勉強が始まります。当時の音楽の先生も熱心に教えてくれ、無事受験を乗り切ることができました。

 

中林さんの音楽の道は音楽療法士としてだけでなく、triplet’sというバンド活動を通じても続き、地元伊勢崎市を中心に活動の場を広げています。

 

 

さんれんぷの誕生

 

大学を卒業し、前橋市児童発達支援センターで児童指導員として働いていた中林さん。
児童発達支援センターとは障がい児の通うこども園のような場所で、指導員の中林さんは保育士や幼稚園教諭の役割にあたります。
クラスをもち、大変ながらも楽しい毎日を過ごすなかで、結婚し、長男を出産しました。

自分が母親になってみて、改めて障がい児とそのご両親と向き合ううちに、「もっとお母さんのケアって必要だなぁ」と考えるように。
音楽療法をもっと臨床として活用したいという気持ちもふくらんできたころで、「独立してNPOを立ち上げよう」と決意しました。

 

“地域に育ててもらったという気持ちが大きくて。大好きな地元への恩返しという想いもあって、NPO法人を立ち上げるなら伊勢崎市って決めていました。
大受験のことでもそうでしたけど、わたしは「これ!」と思ったら一直線。両親からは「戦車」って言われます”

 

と笑う中林さん。目標をとらえて障害物をものともせず、まっすぐに進む姿は、なるほど「戦車」もうなずけます!

 

 

長女が生まれてきた必然

 

NPOを立ち上げるための準備に約3年。いよいよ翌年設立しよう!というころ、2人目の赤ちゃんを授かりました。
予定では、3月に児童発達支援センターの卒園生を見送ってから退職。4月に出産、9月NPO立ち上げ。
しかし、長女は12月に早産で生まれ、超低出生体重児としてNICUに半年間入院しました。
退院してからは在宅医療。訪問看護のナースに支えられながら育児をし、自宅で仕事をおこないます。
その生活にも慣れてきたころ、長女が突然の心肺停止。緊急入院し一命をとりとめましたが、みずから呼吸をすることができなくなりました。

 

“そのときは仕事どころじゃなかったです。1カ月間昼夜もなくつきっきりで。あのときの眠りたくても眠れない、眠たいのに寝付けない状態は、今も忘れられない”

 

長女はその後、自宅で2歳2カ月の生涯を終えました。

 

“ずっと福祉の仕事を目指してきて、障がいのある子どもたちがかわいくて大好きで……
そんなわたしのところに来てくれたのは、必然だったと思います“

 

中林さんは子どもを亡くしたママたちと一緒に、「天使ちゃんママの会 ORANGELETTER(オレンジレター)(https://orangeletter.amebaownd.com/)」をつくりました。
ママの「大好き」が、天使に届きますように。天使の「大好き」が、ママに届きますように。
これまでに2回「天使ちゃんの思い出展」を開催し、たくさんがんばった子どもたちと家族の記録を展示しています。

 

 

好きなことしか仕事にしない

 

中林さんがさんれんぷでおこなっている事業は、大きく分けて4つ。

 

「こども多機能型事業所 ブーケ」の運営。児童発達支援・放課後等デイサービス・保育所等訪問をおこなっています。

 

「相談支援事業所 ぴあ」。老人福祉でいうところの「ケアマネジャー」のような事業で、障がい児一人ひとりに合ったサービス等利用計画を立てていきます。

 

発達カウンセリング事業。主に障がい児のご両親を対象にしており、子どもについての相談やカウンセリングをおこないます。個別学習のようなサポートをおこなう場合も。

 

そして、音楽療法。「ブーケ」の子どもたちやその保護者を対象におこなったり、各種施設に呼ばれて団体への音楽療法をおこなったり。
人数・団体の性格や関係性に合わせて手法を変え、音楽療法を施します。

 

“どの仕事もすごく楽しくて、わたしにとってなくてはならないもの。音楽療法もカウンセリングも相談支援事業も、だれかとだれかをつなげたり、その子のもっている力を引き出したり湧き上がらせたりする仕事なんです。
みんながつながったとき、子どもたちが自分の力を出せるようサポートできたときが、本当にうれしくて楽しい。
わたし、楽しいことや好きなことしか仕事にしてないんです。わがままなんですよ“

 

と照れくさそうに笑う中林さん。


中林さんの「わがまま」は、だれかの笑顔につながっています。
だれかがだれかの犠牲になって一方が幸せになるのではなく、お互いが自分のしたいことをして、ありのままの姿で、お互いを笑顔にする。

 

これは中林さんの目指す「共生社会」に深く関係しています。

 


ごちゃまぜ社会を目指して

 

“「バリアフリー」っていう言葉がきらいなんです”

 

と、中林さん。「バリアフリー」は障がいをもつ人だけでなく、みんなにとって住みやすい社会を示す“良い言葉”なのでは?

 

“だって、「バリア」ありきの言葉でしょう。そもそもバリアがなければそんな言葉生まれないわけで。「差別解消法」っていうのも同じ。「差別」ありきっていうのが納得いかない”

 

「障がい」「差別」「バリア」……
そんな言葉が入り込む余地のない、「共生社会」が中林さんの目指す社会。
どんな子・どんな人でも一人ひとりがたいせつにされて、多様性を認め合い、生きていく。
障がい者」とか「健常者」とかカテゴライズするのではなく、その人の個性・特性と捉えて丁寧な人付き合いをする。


そういった、子どもも老人も働き盛りも歩けない人も聞こえない人も女性も男性も、みんな自己肯定感をはぐくみ、多様性にあふれた社会が、中林さんが目指す「ごちゃまぜ社会」です。

 

“ぜんぶの子どもたちが、その子のそのままの笑顔で、そのまま成長する社会だといいなって思います”

 

 

おそらくそれは、だれもが望みながらも「理想」と名付けて、神棚に上げてしまっていること。
楽しいと思うこと、したいこと、ぜんぶやり遂げてきた中林さんなら遠慮なくつかみ下ろし、「理想」を「現実」につくりかえるかもしれない。

中林さんのおおらかな笑顔には、そんな予感をさせる広大さがありました。

 

 

 

第1弾・第2弾はこちらから

 

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