高校生や友人との対話から、やっと気づけたこと

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正直なところ、わたしは自分の出身高校の名前を言うのが恥ずかしいと、つい最近まで思っていました。生まれ育った土地で暮らしているからなおさら。

なぜかというと、「偏差値が低い学校」だからです。

高校生活はとても楽しかったし、友人や先生にも恵まれ、毎日通うのが楽しみな、大大大好きな学校でした。

でもね、そんなの通っている本人の主観にすぎないわけです。その主観がもっとも大事なことなんだけど、周りの評価にはあんまり影響しませんよね。

 

公立高校は受験があって、偏差値である程度分けられるから、だいたいの子は「学力を偏差値で測って、行ける学校」に行く選択をしているのではないかと思います(今は変わってきているのでしょうか? 20年くらい前の高校受験のイメージしかありませんが……)。学校の内容云々ではなく。もちろん、普通科以外に商業・工業とかいろいろあって、そのなかから選択するし、私立はまったく話が別でしょうが。

わたしの通っていた高校も「総合学科」という、当時はあまりないスタイルの学校でした(もともとは普通科・食品科・工業科の3つだったかな? 総合学科に変わって、わたしは2期生でした)。

大学のように、自分で自分の時間割をつくるのです。

でも大学みたいに空きコマができちゃダメだったから、「選択科目がものすごく多くて、必修科目がちょっとだけの学校」っていうかんじでしょうか。

 

とにかく、「○○高校出身」と聞けば「わあ、じゃあアタマいいんだ」と考えたり、「△△高校出身」と聞けば「ああ、じゃあ勉強できなかったんだな」って、地元の人は瞬時に判断しますよね。

だからね、「高校どこだった?」と聞かれると、「あ~聞かれちゃったよ。やだな~でも嘘つけないしな~」って、実を言うと嫌々答えていました。

 

たしかにわたしは学校の勉強が好きじゃなかった。だから勉強はできませんでした。

高校なんか行きたくないって駄々こねました。

総合学科」という自由度の高い学校で、学力的にも無理がないからそこを選択しましたが、もっと勉強ができていたら、ほかの高校を受験したと思います。

 

(でもまあ結果的に、わたしはその「偏差値の低い高校」に通ったおかげで、国立大学に推薦入学できたのです。

そして大学では、いわゆる“学校の勉強”じゃなくて、自分がおもしろいって思える内容を学ぶことができた。これは、勉強っていう言葉に対するわたしの認識を変えました。勉強って、楽しいんだなって思えた。すごく有意義でした)

 

そんなわたしですが、去年から数回、高校生と接する機会をいただいています。

 

中・高生へキャリア学習プログラムを提供する、NPO法人DNAさんの活動にボランティアとして参加しているためです。

わたしが係わらせていただいているのは、人生の“センパイ”として、今の高校生たちの悩みに寄り添う「未来の教室」という活動。

そもそも、きょうだい会をつくりたいなって考えたときにイメージしていたのは、「中高生のきょうだいさんたちが、あるある話ができる場所」でした。

でも世代的に、わたしはその年代の子とあまり接点がなく。

今の中学生や高校生はどんなことを考えているのかなぁ、っていう興味・関心から、“センパイ”をさせてもらうことにしました。

そして先日は、高校生が1年を通して自分でテーマを決め、自主的に学ぶという「ライフデザイン講座」の発表会に、光栄なことに招待していただきました。

 

いろいろな高校に通う高校生と接して、DNAのみなさんの説明を聞いて、各学校の先生方の想いを知り、そうしたら、やっとわかってきたのです。

自分が通っていた高校が、なんて懐の深い学校だったんだろうって。

 

思えば、当時わたしの高校には、高機能自閉症の男の子が通っていました。難聴の女の子が通っていました。

たぶん、当時はそう診断されなかっただけで、学習障害や軽い発達障害をもつ子も、たくさんいたのではないかと思います。

家庭の事情で自分の勉強どころじゃなかった子。学校が向かなくてつらくて、「やっと中学終わった。高校はいいや」と思ってたけど、親と先生に「高校卒業だけはしといたほうがいい」と強く説得されて仕方なく入学した子。

知らなかった、当時子どもだったわたしには想像もできなかった事情が、それぞれの子にあったのだろうと。

辞めていく子もたくさんいました。

 

ああ、だから、あの学校が総合学科になったんだなってすごく納得いきました。

きっと元から、とっても面倒見のいい学校なんです。

先生たちも、子どもたちの事情を汲んだうえで、無理なく学校に通えて卒業できるよう、心を砕いてがんばってくれていたんだろうと思います。

だって、変わってきているとはいえ、「高校卒業くらいしないと立派なおとなになれない」って、まだまだたくさんのおとなが考えているでしょう?

だから先生だって、なんとか卒業させてやりたくて必死なんですよね。先生自身はどう考えているかは別としてね。

それに加え、ただ出席日数が足りて、補講を受けて卒業すればいいだけでなく、その3年間で卒業後につながる何かを身につけさせたり、見つけたりしてあげたいって気持ちもある。学校の勉強がきらい・苦手な子には、そういうものがなおさら必要だから。

それがその子にとって押しつけにならないよう、先生は細心の注意を払ってトライ&エラーを繰り返しているんだろうなぁと。

 

と、わたしにとっては大発見、大きな気づきだったわけですが、今さら気づくなんてもしかしたらすごくまぬけかなあ、という気がしなくもない(^_^;)

でもまあ、自分の子どもが学校選びをする前に気が付けてよかったです。

 

 だからわたしは、今はもう出身校を聞かれても、ぜんぜん恥ずかしくないです。

わたしの気持ちのもちようが変わっただけで、世間の評価は何ひとつ変わってないけど、そんなもんは関係ないなって、素直に思います。

 

あとこれはこの間、県外出身の友人に「高校どこだったの?」って聞かれて、

同じ高校出身の友人に悪いしずっとこの言葉は使わずにいたが事実だし、言いたくはないがしかしこの際だからもう口にしてしまえと捨て鉢な気持ちで「いわゆるバカ高ってとこに通ってた」と白状したとき、なんとなくしっくりこなくて、

「あ、わたしべつに出身校のことバカ高なんてほんとは思ってないな」

って後から気づいた。という経緯もあります。世間の評価にとらわれているのは自分だな、と。

あとね、子どもっておとなから見たら偏差値云々にかかわらずバカですよね。なぜなら未熟だからね。経験値も低いし。それをバカと言えば、バカなんでしょう。

でも、未熟なことはバカってことじゃないんですよね。偏差値が低いことも、経験値が低いことも、バカってことじゃない。

じゃあ、何だっていうね。そこはわたしはまだ考え中です。すみません。

しかし何回“バカ”って書きましたかね。ふだん言っちゃいけないって思っているからなのか、なんか興に乗っちゃっていっぱい書いちゃいましたね。

ばか バカ ばーーーーーーーーーーか!!

(あなたのことじゃありませんよ。笑)

 

 

いやあ、気づきは対話のなかから生まれるって、本当ですね!

 

それから、今回ライフデザイン講座の発表の場に、直接は教わっていないのですが高校時代の先生が聞きにいらしていたのです。なつかしいニコニコのお顔。

先生とちょっとお話しさせてもらって、そしたら高校のときの記憶がじわじわとよみがえってきて。

先述しましたが、総合学科は自分の時間割を自分でつくるんです。

1年生のとき、それがめんどくさいめんどくさいってブツブツブツブツ言ってる子がいて。

腹に据えかねたので「じゃあこの高校来なきゃよかったじゃん」と言ったんですよね。

そしたらその子が1拍おいて、「だってこの学校しか入れなかったんだからしょーがないじゃん」と。

そのときわたしは、

「あんたはどうか知らんがあたしは選んでこの学校入ってんだ! バカにすんな!」って憤ったことを思い出しました。これはさすがに言えなかったけど。

でも、「この学校しか入れなかった」っていうセリフには、学力以外の何らかの事情があったのかもしれません。

彼女は覚えてないかもしれないけど、わたしの言動は心なかったかもしれないなと今頃反省。

一方で、「自分で選んだ学校なんだ」って意思をもっていたことがうれしいです。

ずっと10代のころの自分を「夢見がちで、卑屈で、言い訳ばかりしている、そのくせ生産的なことはなんにもしない、つまりはなんにも考えていないアホな女子高生」だったと思っていたけど、そんなことなかった。よかった。

 

なんにも考えてない人なんていないですよね。年齢に関係なく。

 

ずっと持ち続けていたコンプレックスがひとつ消えたなって、こうして書くことで実感しました。

まだまだいっぱいありますけどね!

 

個人的なことを、長々読んでくださりありがとうございます。

 

DNAにご興味のあるかたは、すてきなHPがあるのでのぞいてみてください→