高校生や友人との対話から、やっと気づけたこと
正直なところ、わたしは自分の出身高校の名前を言うのが恥ずかしいと、つい最近まで思っていました。生まれ育った土地で暮らしているからなおさら。
なぜかというと、「偏差値が低い学校」だからです。
高校生活はとても楽しかったし、友人や先生にも恵まれ、毎日通うのが楽しみな、大大大好きな学校でした。
でもね、そんなの通っている本人の主観にすぎないわけです。その主観がもっとも大事なことなんだけど、周りの評価にはあんまり影響しませんよね。
公立高校は受験があって、偏差値である程度分けられるから、だいたいの子は「学力を偏差値で測って、行ける学校」に行く選択をしているのではないかと思います(今は変わってきているのでしょうか? 20年くらい前の高校受験のイメージしかありませんが……)。学校の内容云々ではなく。もちろん、普通科以外に商業・工業とかいろいろあって、そのなかから選択するし、私立はまったく話が別でしょうが。
わたしの通っていた高校も「総合学科」という、当時はあまりないスタイルの学校でした(もともとは普通科・食品科・工業科の3つだったかな? 総合学科に変わって、わたしは2期生でした)。
大学のように、自分で自分の時間割をつくるのです。
でも大学みたいに空きコマができちゃダメだったから、「選択科目がものすごく多くて、必修科目がちょっとだけの学校」っていうかんじでしょうか。
とにかく、「○○高校出身」と聞けば「わあ、じゃあアタマいいんだ」と考えたり、「△△高校出身」と聞けば「ああ、じゃあ勉強できなかったんだな」って、地元の人は瞬時に判断しますよね。
だからね、「高校どこだった?」と聞かれると、「あ~聞かれちゃったよ。やだな~でも嘘つけないしな~」って、実を言うと嫌々答えていました。
たしかにわたしは学校の勉強が好きじゃなかった。だから勉強はできませんでした。
高校なんか行きたくないって駄々こねました。
「総合学科」という自由度の高い学校で、学力的にも無理がないからそこを選択しましたが、もっと勉強ができていたら、ほかの高校を受験したと思います。
(でもまあ結果的に、わたしはその「偏差値の低い高校」に通ったおかげで、国立大学に推薦入学できたのです。
そして大学では、いわゆる“学校の勉強”じゃなくて、自分がおもしろいって思える内容を学ぶことができた。これは、勉強っていう言葉に対するわたしの認識を変えました。勉強って、楽しいんだなって思えた。すごく有意義でした)
そんなわたしですが、去年から数回、高校生と接する機会をいただいています。
中・高生へキャリア学習プログラムを提供する、NPO法人DNAさんの活動にボランティアとして参加しているためです。
わたしが係わらせていただいているのは、人生の“センパイ”として、今の高校生たちの悩みに寄り添う「未来の教室」という活動。
そもそも、きょうだい会をつくりたいなって考えたときにイメージしていたのは、「中高生のきょうだいさんたちが、あるある話ができる場所」でした。
でも世代的に、わたしはその年代の子とあまり接点がなく。
今の中学生や高校生はどんなことを考えているのかなぁ、っていう興味・関心から、“センパイ”をさせてもらうことにしました。
そして先日は、高校生が1年を通して自分でテーマを決め、自主的に学ぶという「ライフデザイン講座」の発表会に、光栄なことに招待していただきました。
いろいろな高校に通う高校生と接して、DNAのみなさんの説明を聞いて、各学校の先生方の想いを知り、そうしたら、やっとわかってきたのです。
自分が通っていた高校が、なんて懐の深い学校だったんだろうって。
思えば、当時わたしの高校には、高機能自閉症の男の子が通っていました。難聴の女の子が通っていました。
たぶん、当時はそう診断されなかっただけで、学習障害や軽い発達障害をもつ子も、たくさんいたのではないかと思います。
家庭の事情で自分の勉強どころじゃなかった子。学校が向かなくてつらくて、「やっと中学終わった。高校はいいや」と思ってたけど、親と先生に「高校卒業だけはしといたほうがいい」と強く説得されて仕方なく入学した子。
知らなかった、当時子どもだったわたしには想像もできなかった事情が、それぞれの子にあったのだろうと。
辞めていく子もたくさんいました。
ああ、だから、あの学校が総合学科になったんだなってすごく納得いきました。
きっと元から、とっても面倒見のいい学校なんです。
先生たちも、子どもたちの事情を汲んだうえで、無理なく学校に通えて卒業できるよう、心を砕いてがんばってくれていたんだろうと思います。
だって、変わってきているとはいえ、「高校卒業くらいしないと立派なおとなになれない」って、まだまだたくさんのおとなが考えているでしょう?
だから先生だって、なんとか卒業させてやりたくて必死なんですよね。先生自身はどう考えているかは別としてね。
それに加え、ただ出席日数が足りて、補講を受けて卒業すればいいだけでなく、その3年間で卒業後につながる何かを身につけさせたり、見つけたりしてあげたいって気持ちもある。学校の勉強がきらい・苦手な子には、そういうものがなおさら必要だから。
それがその子にとって押しつけにならないよう、先生は細心の注意を払ってトライ&エラーを繰り返しているんだろうなぁと。
と、わたしにとっては大発見、大きな気づきだったわけですが、今さら気づくなんてもしかしたらすごくまぬけかなあ、という気がしなくもない(^_^;)
でもまあ、自分の子どもが学校選びをする前に気が付けてよかったです。
だからわたしは、今はもう出身校を聞かれても、ぜんぜん恥ずかしくないです。
わたしの気持ちのもちようが変わっただけで、世間の評価は何ひとつ変わってないけど、そんなもんは関係ないなって、素直に思います。
あとこれはこの間、県外出身の友人に「高校どこだったの?」って聞かれて、
同じ高校出身の友人に悪いしずっとこの言葉は使わずにいたが事実だし、言いたくはないがしかしこの際だからもう口にしてしまえと捨て鉢な気持ちで「いわゆるバカ高ってとこに通ってた」と白状したとき、なんとなくしっくりこなくて、
「あ、わたしべつに出身校のことバカ高なんてほんとは思ってないな」
って後から気づいた。という経緯もあります。世間の評価にとらわれているのは自分だな、と。
あとね、子どもっておとなから見たら偏差値云々にかかわらずバカですよね。なぜなら未熟だからね。経験値も低いし。それをバカと言えば、バカなんでしょう。
でも、未熟なことはバカってことじゃないんですよね。偏差値が低いことも、経験値が低いことも、バカってことじゃない。
じゃあ、何だっていうね。そこはわたしはまだ考え中です。すみません。
しかし何回“バカ”って書きましたかね。ふだん言っちゃいけないって思っているからなのか、なんか興に乗っちゃっていっぱい書いちゃいましたね。
ばか バカ ばーーーーーーーーーーか!!
(あなたのことじゃありませんよ。笑)
いやあ、気づきは対話のなかから生まれるって、本当ですね!
それから、今回ライフデザイン講座の発表の場に、直接は教わっていないのですが高校時代の先生が聞きにいらしていたのです。なつかしいニコニコのお顔。
先生とちょっとお話しさせてもらって、そしたら高校のときの記憶がじわじわとよみがえってきて。
先述しましたが、総合学科は自分の時間割を自分でつくるんです。
1年生のとき、それがめんどくさいめんどくさいってブツブツブツブツ言ってる子がいて。
腹に据えかねたので「じゃあこの高校来なきゃよかったじゃん」と言ったんですよね。
そしたらその子が1拍おいて、「だってこの学校しか入れなかったんだからしょーがないじゃん」と。
そのときわたしは、
「あんたはどうか知らんがあたしは選んでこの学校入ってんだ! バカにすんな!」って憤ったことを思い出しました。これはさすがに言えなかったけど。
でも、「この学校しか入れなかった」っていうセリフには、学力以外の何らかの事情があったのかもしれません。
彼女は覚えてないかもしれないけど、わたしの言動は心なかったかもしれないなと今頃反省。
一方で、「自分で選んだ学校なんだ」って意思をもっていたことがうれしいです。
ずっと10代のころの自分を「夢見がちで、卑屈で、言い訳ばかりしている、そのくせ生産的なことはなんにもしない、つまりはなんにも考えていないアホな女子高生」だったと思っていたけど、そんなことなかった。よかった。
なんにも考えてない人なんていないですよね。年齢に関係なく。
ずっと持ち続けていたコンプレックスがひとつ消えたなって、こうして書くことで実感しました。
まだまだいっぱいありますけどね!
個人的なことを、長々読んでくださりありがとうございます。
DNAにご興味のあるかたは、すてきなHPがあるのでのぞいてみてください→
「きょうだい会」の目的って?
お久しぶりになってしまいました。
インフルエンザで寝込んでいた……わけではありません!
我が家はおかげさまでみんな元気です。92歳の大ばあちゃんもピンピンしており、昨日も肉から食べていました!
弟も今日はデイで調理実習らしく、ウキウキと出かけていきました。
ありがたいことです。
先日、きょうだい会Shirabeの次回開催に向けて、市内の行政センターの多目的ホールを借りたくて窓口で申し込み手続きをしてきました。
何カ所か訪ねたのですが、いずれも
行「何で使用するんですか?」
私「障害児や障害者のきょうだいを対象にした会で使います」
行「………………はぁ?」
というかんじで、なかなかピンときてもらえず、説明に苦労しております!
ニッチな活動なので仕方ないっちゃーないのですが。
「何の目的で?」
と聞かれると、
・同じ境遇の仲間づくり
・きょうだいがその日は主役になって楽しく過ごすため
・あるある話をして体験をわかち合うことで、悩みを軽減する
とかいろいろあるんですけど、なぜそうする必要があるのか? というところをもう一度説明しなくてはならないので、なかなかもどかしい!
もっとこう、みんなの腑に落ちる、すとんとくる説明ができないかなあと考えていたのです。
で、わたし仕事はライターをしているのですが、もっともっと上手になりたいなということで「MOJIラボ」というライター養成講座を10回にわたり受講していました。
講師は元上毛新聞社記者でライター歴30年の阿部奈穂子さんです。
卒論として、自分の仕事・活動・興味のあることをテーマに800字程度でルポ風の記事にまとめるという課題が出されました。
もちろんわたしのテーマは「きょうだい会」。
書きながら「ほうほう、なるほど……」と、自分で書いているのに改めて納得したりして、なかなかまとまった文章に仕上がったのではないかと自画自賛しております。
以下に載せますので、よかったら読んでみてください。
未来につなげる予防の支援「きょうだい会」
「きょうだい会」という言葉を耳にしたことがあるだろうか? 障害児・者と同じ家庭で育つ健常の兄弟姉妹(以下「きょうだい」)を支援する活動だ。障害をもたない彼らに、支援が必要な理由とは?
きょうだいならではの悩み
きょうだいの悩みは年代によって変化する。小学生時代で多いのは、からかいの対象になる兄弟姉妹を見てつらい思いをしたり、自分がからかわれたりすることだ。年齢が高くになるにつれ、悩みや葛藤は多様化する。障害をもつ兄弟姉妹のことを恥ずかしく感じたり、時には疎ましく思ったり。そのような感情をもつことに罪悪感を抱き、自己評価を低くすることもある。
周りからの期待やプレッシャーから、いい子を演じてしまうきょうだいも多い。中高生になり進路を意識する年頃になると、自分が目指したいことと周囲が期待することの間で心が揺れ動く。
幼年~学齢期を通して抱きがちなのが“寂しさ”だ。両親の注目はどうしても手のかかる障害児へと向く。理解してはいるものの、寂しさは拭えない。
大好きな両親にだからこそ、打ち明けられない悩み。幼い頃から抱いているため、悩みや葛藤という言葉で表せるのだということにすら思い至らないモヤモヤした感情。吐露する場所がなく、話してもわかってもらえないと、孤独感を募らせる。
のびのびと感情表現できる場を
「きょうだい会」は子どもを対象にした会と、大人きょうだいのセルフサポートグループに大別される。
大人と違い、子どもは自らサポートを求めることができない。抱いているモヤモヤした感情は、自分自身で解決しなければならない問題と思い込んでいる。感情をため込んだ結果、体調不良や不登校という形で表れる場合も。
「きょうだい会」は、同じ境遇の仲間とレクリエーションやお喋りを通して感情を共有する場だ。「自分だけの悩みではない」「どんな感情をもってもいい」と感じることで、安堵し自信をもち、希望につなげることを目的としている。
仲間と一緒に活動し心のケアを予防的に行うことで、これから先、生じるであろう各年代による悩みを軽減する効果もある。現在だけでなく、10年、20年後につながる“予防の支援”が、「きょうだい会」なのだ。
…………どうでしょうか。わかりやすいでしょうか?
行政センターの窓口で「これを読んでください!」と言うわけにはいかないですけどね(^_^;)
MOJIラボは2018年2月20日、3月6日、20日、4月10日、24日の全5回で再度開催されるそうです。
前回の半分なので、ダイジェスト版ですね。
とにかく、わかりやすく!簡潔に!伝わる!文章の書き方を伝授してもらえるので、説得力のある文章を書きたい方には特におすすめです。
きょうだい会Shirabe第1回大成功でした!!
1/21(日)初めての「きょうだい会Shirabe」開催!!
太田市・館林市・前橋市から6名のきょうだいさんにお申込みいただき、インフルエンザが猛威を振るうなか、みんな元気に参加してくれました!
欠席はボランティアさんひとり(やっぱりインフルだって。お大事に……)。
というわけで、きょうだいさん6名、学生ボランティア16名、スタッフ4名で行われました。
おとなが多いな~! って思うでしょ?
しかしまあ、これがなかなか。お兄ちゃんお姉ちゃんが多いといいことばっかり!
(なぜかは後半で!)
プログラム内容は
・名札づくり
・新聞陣地(新聞紙の上に立って、じゃんけんに負けたら新聞を折っていくゲーム)
・かんたんカルタ
・ふうせん羽子板
・おかしつり
・おみやげづくり
・おやつタイム
と、盛りだくさん!
きょうだいさん1名にボラさん2~3名のチームになってもらって、でもチーム対決ではなく、チーム同士で協力しながらゲームをすすめました。
きょうだいさんもボラさんも、最初は緊張の面持ちでしたがすぐに打ち解け、おしゃべりに花を咲かせたり手遊びしたりしていました!(ここで早くもじ~ん……)
「新聞陣地」は、どんどん折られて小さくなる新聞の上にいかにして立つか!?が要。最終的にボラさんがきょうだいさんをおんぶして、片足でもちこたえるチームがふたつ(笑)。
「かんたんカルタ」は自分たちでつくった大判のカルタで遊ぶゲーム。
自分が描いたカルタがとれると、みんな特にうれしそうでした!
白熱してダッシュしちゃうとあぶないから、きょうだいさんとボラさんで手をつないでもらいました。
「ちゃんとお兄ちゃんお姉ちゃんつれていってね!」と事前に注意をして、ボラさんがストッパーになる予定でしたが……
結果、ボラさんが熱くなって、きょうだいさんが見つける前に、きょうだいさんを引っ張って取りに行くという(笑)
大学生、すごく楽しそうでした(笑)。それを見てるきょうだいさんたちもみんなニコニコ(^^)(^^)(^^)で、すごくかわいかった!
「ふうせん羽子板」では、2チームずつに分かれて何回続くか勝負!
みんなで「いーち、にーい……」と数えて、見学チームの子は応援にまわりました。
2分間で34回も続いたチームがありましたよ。すごい!
途中、ふうせんを追いかけて羽子板と体がぶつかっちゃったハプニングもありましたが、ボラさんのご協力により事なきを得ました。ありがとう~!
最後に磁石の釣り竿で、クリップをつけたお菓子を釣りました(以前ご紹介した、大阪から届いた駄菓子です~!)。
磁力が弱くて釣り上がりにくいなか、ここもチームワークで釣り切りました!
自分のおやつぶんと、おうちの人へのお土産ぶんとを釣り、お土産ぶんはマスキングテープで飾り付けをしたりお絵描きをしたりした紙袋に入れて完成!
「おばあちゃんいつもありがとう」とか、「感謝してます」とか、べつにそんなメッセージを書こうね、なんて声掛けしてないのに、一言添えるきょうだいさん多数。
家族のことをとってもとってもたいせつにしている子たちばかりなんだなぁと、スタッフ一同じーんときました……。
おやつを食べているうちにおうちの方がお迎えに来て、ボラさん・スタッフとハイタッチしてみんな元気に帰っていきました。
参加してくれて、ほんとにありがとう~!!きょうだいさんたちの楽しそうな様子に、おばちゃんたちはほんとにうれしくて、とっても楽しかったよ!!
最後のアンケートでは「お兄ちゃん・お姉ちゃんとのチーム」が楽しかったと答えてくれた子が半分以上。
「子どもリーダーがおとなを引き連れる」チーム分けは、ボラさんがたくさんいないとできないことなので、「子どもとおとなのこの人数差で、みんなが楽しめるにはどうしたらいいか!?」とプログラムを練った甲斐がすごくあって、とても嬉しかったです。
最後にボラさんたちと。
わたしの撮った写真が少なかったので、でもはやく報告したかったので画像少なめなのですが、また当日の様子の写真を更新アップしたいと思います!
次回は5月を予定していて、こんどは年間予定を出したいな~と考えています。
それから、4歳~小学生対象の、親子参加タイプの「プチShirabe」も企画しています。
プチのほうは、仲間づくりというよりは、お母さん・お父さんと目いっぱいぎゅーしちゃおう!手をつなごう!の、親子のふれあい中心です。
例えば、ふだんは兄弟姉妹のバギーを押していてなかなかつなげないお母さんの手、握っていないと飛んでいっちゃうからお出かけのときはいつも兄弟姉妹と手をつないでいるお父さんの手が、今日だけはわたし・僕の手! っていう日です。
おお……書いていて自分がわくわくしてきたな(笑)
またお知らせします!
栃木県の「家族支援に関する公開講座」を受講してきました!
【病気や障がいを持つ子どもたちの「きょうだい」とご家族の気持ちに寄り添う】
と題して、おとなり栃木県宇都宮市で、県主催の公開講座が開かれました。
事務局は、きょうだい支援に力を入れている福祉事業所「認定特定非営利活動法人 うりずん」さん。
宇都宮にきょうだい関連で訪れるのは2回目です。
前回は2017年の夏、「シブリングサポーター研修ワークショップ」を受講するため。
ここで「きょうだい支援」のあり方や目指すものを学ばせてもらいました。
今回の講演会は、シブサポ研修の講師である「NPO法人しぶたね」さんが前半講演をされ、後半は病院や福祉事業所で行われているさまざまなかたちの「きょうだい支援」に関しての報告と意見交換でした。
たくさん学ぶことはありましたが、印象的だったのは
「入院している病気の兄弟姉妹」と「きょうだい」の関係が希薄になりがちなので、そこをサポートするというきょうだい支援。
子どもは感染などの理由で、病棟に入れないことがほとんどなのだそうです。
両親や親せきなどのおとなは病棟に入って兄弟姉妹に会えるのに、自分だけ「子どもだから」ひとりで病院の廊下で待っていなきゃならない。
お母さんが入院している兄弟姉妹につきっきりで、あんまり会えない。
その不条理さや寂しさをいやすために、きょうだい支援はあるのだと思っていました。
けれど、きょうだいさんたちだって、病気の兄弟姉妹に会いたいんですよね。
会っておしゃべりしたい。毎日どうしているのか知りたい。
知って、安心したい。納得したい。病気の兄弟姉妹にだってその子の生活があるって、見て知りたい。
そういった「知りたい」気持ちを満たし、「会いたい」気持ちをかなえるきょうだい支援もあると、初めて知りました。
そして、「きょうだい」を気にかけつつも、どうしたら良いのかわからない、本業が忙しくてきょうだい支援の企画までできない。
そういった病院や福祉事業所さんがたくさんいらっしゃるということも知りました。
「きょうだい会Shirabe」は太田が拠点です。興味・関心があっても遠くて参加できないという方もいらっしゃると思います。
でも学校や病院、事業所さんとタッグを組めば、施設利用者のきょうだいさんのために、こちらがその施設まで出向いてきょうだい会ができる。
その名も「出張Shirabe」。
どうですかこれ。ぜひ実現させたいです。
けれどまずは、今週末の第1回Shirabeを成功させることに心血を注ぎます(大げさ?)。
いつも感じることですが、「きょうだい支援」に関して栃木県は進んでいます。
群馬も続こう!と、講座で出会った方々と「シブリングサポーター研修inぐんま」実現に向けて取り組んでおります。
また進捗具合などご報告できたらと思っていますので、お楽しみに!
新年のごあいさつ
あけましておめでとうございます。
2018年、戌年。年女です。写真は、いまは亡き愛犬・すばるです。
今年はきょうだい会Shirabe始動の年。
はりきってスタートさせよう! と思ったのですが、年末年始ののんびり空気に流され、すべてがもうただ面倒で「今日はもうあれだ、明日……明日からがんばろう」と、ブログでの新年のごあいさつも今になってしまいました……。
今年に入ったらちゃんと毎日続けようと思った筋トレは、まだ始めていません……まあこれはいつものことなんですけど(笑)
こんな怠惰なわたしですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
元旦は家族で自転車に乗りニューイヤー駅伝観戦&村社に初詣。
2日はモータープールから金山を登り新田神社にお参り(新田義貞の絵馬が最高かっこよかった……!)。子どもたちも城跡で遊びながらお散歩できて、楽しそうでした!
元旦の午前中はきっと初日の出を見に来た人たちでいっぱいだったのでしょうが、2日は空いてました。身体も動かせて、気持ちよかった。
ずーっと坂道だけど、アスファルト舗装されている道もあるから、がんばれば車いすでも行けそうです(でも、ほんとにずーっと坂道……交代で押す人が何名かいると安心かもしれません。車いす事情に明るくないので、変なことを言っていたらすみません)。
3日は盆と正月だけ会えるマブダチとランチ。
と、遠出こそしませんでしたが、年に1度の特別なお休みを満喫しました。
6日にはShirabeスタッフと打ち合わせをし、プログラムを組みました!
まずはあれから始め、お次にこうして、それからああして、最後はこれでしめる、と……(なんのこっちゃわかりませんね)。
あ~ 楽しみ!!
1/21(日)13:30~15:30 太田市で行う「第1回きょうだい会Shirabe」は、
1/12(金)まできょうだいさんのお申し込みを受け付けております。
まだ空いています! お申込みお待ちしてます(^^)
個人的なことですが……
昨年後半は「仕事」「きょうだい会」「家のこと」「子育て」、うまく切り替えられず、なんとなくバタバタとしてしまった気がします。
そのバタバタのせいで子どもたちにしわ寄せがいってしまったかも、と反省。
今年は、いろいろがんばるけど、そのがんばりが誰かの(主に子どもたちの)負担にならないように、もうちょっとやり方を考えよう~と思います。
しばらく挑戦&準備の年が続きそうです。
今年1年ありがとうございました!のご挨拶と「『きょうだい』だからこそできること」の模索
気づけばもう12月29日。明日我が家は毎年恒例、餅つきの日です。
臼と杵でお餅をつくのですが、今年は男手が主人と父しかいないので、きっとふたりには長い一日になるでしょう(笑)
群馬にきょうだい会をつくりたくて10月から始めた、まだ3カ月のブログですが、たくさんの方にシェアしていただき、読んでいただいて感謝しています。
実をいうと自分自身があまり人のブログを読む習慣がないので、わたしがブログなんか書いてだれが読むんだろうか……と疑問でした。
しかし賛否はどうあれ読んでくださる方がいることで、わたしのすることに意味があるんだなあと嬉しく感じました。
数回書いてみて自分で思ったのが、「このブログ、『役に立つこと』が全然書かれてないなあ」ということ。
ただ「きょうだいである自分のこと」や「考えていること」しか書いてなくて、これってブログとしてどうなんだろう?と。
でも、ご自身が自閉症児の親御さんで、千葉できょうだい支援をされている方からいただいた「『わたしのこと』そのものが琴線に触れるメッセージだと思います」という言葉に励まされ、ともかく続けようと考え直しました。
そうこうするうちにShirabeのお知らせもできたので、ホッとしています!
来年以降も、「きょうだい」としての自分が子どものころに感じていたことや、10代・20代ではどうだったか、思い出しながらつづっていきます。
文章にすることで、親御さんがきょうだい児について気になっていることの手がかりとなれば嬉しいですし、10代の若いきょうだいさんたちにも届けばいいなと思っています。
平成19年に「財団法人国際障害者年記念ナイスハート基金」が企画・発行した、「障害のある人のきょうだいへの調査報告書」というものがあるんです。
このなかの、「障害のある人や家族が幸せに暮らすために、社会はどのように変われば良いか」という質問の答えで最も多かったのが、
「障害者に対する理解を広め、偏見差別をなくす 45.9%」
なんですね(その次が「障害者に対する社会的援助を充実する 28.1%」)。
わたしは、これがとても嬉しくて。自分と同じように考えている、同じ立場の方がたくさんいるんだ!って知ったことで、とても勇気づけられたのです。
それから、日本文化科学社発行の『ダウン症ハンドブック 改訂版』に、「きょうだい」についての項目があります(「きょうだい」についてこんなにページを割く「障害について学ぶ本」は、珍しいんじゃないかと思います)。
こちらから抜粋して引用させていただきます。
確実にいえることは、きょうだいは親と違ってダウン症児と同世代の人間であるということです。彼(女)たちの人生は、ダウン症をもつ子どもの人生と同じサイクルで展開していくのであり、親の役割を代替させることはできません。きょうだいに対して期待される役割は、親に代わる保護者としてのものではなく、「障害をもつ子どもがいることが当たり前という環境に育った人間」としての社会への啓発的な役割なのではないかと思われます。
「障害平等研修(DET)」を来年ぜったいに受けたいと思っているのですが、こちらは障害者の方自身が講師となって行われる研修です。当事者だからこそ伝えられることがありますよね。
同様に、「きょうだい」だからこそ伝えられる何かがあるんじゃないかな、と考えています。「啓発的な役割」と言われて「その通りだ」と感じ、何かしたいと思ってもひとりでは何をどうしたらいいのか全然わかりませんが、仲間ができればもしかしたら「何か」できるのかも!?って、実はこっそりワクワクしています(笑)
まずは来年1月の「きょうだい会Shirabe第1回」が楽しみです!
更新が頻繁にあったりしばらくなかったりと安定しないブログですが、読んでくださってありがとうございます。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
よいお年をお迎えくださいね。
「障害がある」「障害がない」って、どういうことなんだろう?
先日、「Shirabeに参加するきょうだいさんへ」って、大阪のサンタさんからたーくさん大阪っぽいお菓子のプレゼントがありました!
「大阪っぽい」というところがポイントです(笑)
ああ! 子どもたちの反応が楽しみ!!
内容的に学生ボランティアのお姉ちゃんお兄ちゃんのほうがはしゃぐかもしれません(笑)
それもよし! です(^^)!
前回の記事をフェイスブックでシェアしたときに、
「(うちの「きょうだい」は)弟の身体が不自由だということはもちろん理解しているけれど、障害だとは思っていないみたい」という、親御さんからのコメントをいただきました。
「なるほど、そういうことなのか」と、納得した思いでした。
「きょうだい会」を立ち上げたいと活動し出してから「きょうだい」関連本を何冊か読みました。いろいろなきょうだいさんからの作文を載せたものもあったのですが、ここでよく出てくるのが
「障害者と言われる兄弟姉妹に対して、『障害者』だと思ったことはない」というセリフ。
これ正直、「???」だったんです。
わたしの弟は重度知的障害者です。
身体障害はないです。でも見た感じでもう、知的障害者ってすぐわかるレベル。って言ったら差別的ですかね? 家族だからズバズバ言っちゃってますが……。
わたしには障害のある弟の下にもうひとり弟(健常)がいますが、彼は友人に家族の話をするとき「うちの兄ちゃんは……すげえ障害だよ」って説明するそうです(笑)
わたしは、「そうだなぁ、トイレに行ったり着替えたり、そういう自分のことは自分でできるから『介助』が必要ってわけじゃないんだけど、知的には3歳くらい? もちろん3歳児よりもできることはたくさんあるけど、言葉は3歳児のほうが達者だし、いろいろ含めてやっぱり未就学児くらい。だから、見守りは必要なんだよね」って説明します。
わたしと障害の弟は3歳違いで、物心ついたときには弟は「障害児」でした。とってもかわいくて大好きだったから、障害児だろうが何だろうが「弟」でしたが、わたしにとってはずっと「知的障害のある弟」です。
だから、わたしは逆に弟を「障害者ではない」と思ったことがないんです。
ときどき、「弟が普通だったらどうだったろう? 部活は何に入っただろう? 音楽が好きだから、楽器を演奏したかな」なんて考えることがありました。
ひと通り想像した後に、「でもそしたら、弟じゃない全然別の人だな」って思い直したものです。
だから、「障害者だと思ったことがない」って、どういうかんじなんだろう? 軽度の知的障害だから、そう感じるのかな? それとも、身体障害の方で知的には何の問題もないから、そう感じるのかな? って、疑問でした。
でも今回のコメントをいただいて、「障害だと思わない」ことと「障害があってこそ」というのは、根っこは同じ考えなんだって気が付きました。
つまりは、「すべてを含めてのその人自身」と捉えているということ。
お絵描きが上手とか、運動が苦手とか、そういうのと同じっていうことなのかな、と。「同じ」と言い切ってしまうのは語弊があるでしょうが。
「障害も個性」と言ったりしますが(母に言わせると「きれいごとぬかすな」らしいですが。笑)、そういうことなのかな?
「障害者」という枠にはめず、「個人」として捉えることが生活のなかで自然にできるようになるのは、家族の特権かもしれませんね。
これが「家族の特権」でなくなれば、「個性豊か」な人々が(つまり我々全員が)住みやすい社会になるんだろうな。