「きょうだい」じゃなくても、理解はできなくても、寄り添ってくれる友だちはいる
こんにちは。
前回できょうだい支援実践報告会のレポートというか感想というか、はおわりなのですが、そのあと小伝馬町のサンマルクカフェの3階で、プチ大人きょうだい会をしたことについても触れたい……
と思ったので書きます。
みんな「きょうだい」であり、きょうだい支援を何らかの形でしているので、どんなふうにしているのかという話から始まり、自分と家族の関係とか、開催した会の参加者さんの反応はどうだったかとか、いろんなお話をしました。
すんごい参考になりました。あと参考云々よりなにより楽しかった。
で、気づかされたことがひとつ。
学齢期にずっとモヤモヤしていて~っていうような話をしてたときに、
「そういう気持ちを、誰かに話したことあります?」
って聞かれたんですよね。
「親にはもちろん、友だちにも話したことがない」って思ってたけど、そう聞かれてパッと高校時代のことを思い出したんですよ。
この子なら話しても大丈夫そうって思って、何の話題のときだったか、
「こんなこと口に出すの恐ろしいけど、弟がいなくなったら今後の人生どんなに楽かと思う」
というようなことを言ったことがあるんです。
言葉にするのにかなりの勇気が要りました。
友だちがどんなふうに答えてくれたのかはよく覚えてないんですけど、もちろん否定はされなかったし、たしか「自分だって(家族に対して)そんなふうに考えることがある」というようなことを言ってくれたんじゃなかったかな。
すごくほっとしました。
なんで口にするのが怖いかって、もし本当にそうなってしまったときに、後悔が半端ないと思うからと、
ただの「考え」なのか、「望み」なのか、区別がつかないからです。
口に出して公表してしまったら、自分がそれを待ち望んでいるようで、恐ろしかったんだと思います。
でも友だちに話してみたら、「そう思ったって仕方ないんじゃないの」っていう反応だったので、「あー まあ、仕方ないかな」って、少し軽くなったというか……
そうですね、気持ちが軽くなったんだと思います。
この経験はきょうだいのわたしにとって、大きな意味があったんだなあって気づきました。
あと、中学のときに同じ部活で仲良くしていた友だちがいて、その子はほんとに誰に対しても屈託のない子で、わたしの両親や祖父母とも気軽に付き合えるような子だったんです。
どんなきっかけだったのか、わが家がディズニーランドに遊びに行くっていうときに、その子も一緒に行ったんですよね。
それで、父が「写真撮るよー」ってカメラを向けたときに、弟は全然カメラのほうをむかなくて……っていうか体ごと明後日の方向を向いていたのですね。
まあいつものことなんですけど。
そうしたら、
「ほら、〇〇(弟)くん、写真撮るって! ほら!」
って言って、その子が弟の腕を引っ張ったんですよ。
わたしは友だちのこの行動が、ものすごくうれしかったです。
だって、なんかふらふらしてるし、よだれたらしてるし、奇声を発するし、まあ、弟だから言っちゃいますけど、異様なんですよ……やっぱ。同年代の子と比べて。
弟はまだ小学生だったからかわいいもんですけど、当時のわたしたちは中学生ですからね。歳が近いぶん、そんなかわいいとは思わないですよ。
でも、友だちは避けるでもなく変に構うでもなく、ふつうに接してくれた。触ってくれた。
それが、とっても嬉しかったんです。
だからといって、上記の友人たちに弟のことで考えていることとかをそれから相談できるようになったかといえばそういうわけではないんですが、やっぱり家族以外の人から「拒否されない」「受け入れられる」っていう経験は、大きかったと思います。
小さな出来事が、何十年も支えになってくれることってあるんですね。
わたしはそんなやつで、あまり人に心をひらいていなかった(と大人になった今思う)から、人から頼りにされることがなくて、彼女たちがつらいときの助けには全然なれなかったので、もらってばっかりで申し訳なかったし残念だったなと思います。
そのぶん、今何か、自分のしていることが人の助けになったら、わたしにとってもとてもありがたいです。
いろんなことを思い出させてくれた、きょうだい仲間のみなさんの活動に関心のある方!
こちら↓から様子がのぞけますよ~(^^)