きょうだいへのアテンションの向け方と、弟の存在理由を改めて考えました
2月25日(日)、太田市にある障がい児・者親の会「Cheer Smile Courage(CSC)」さんが主催する講演会に参加させてもらいました。
「大人になるまで……大人になっても……~大人の言葉、会話、感情、態度、そして性格が子どもにどう影響を与えるのか?~」
と題して、子どもの心を安定させるかかわり方を、佐野市で小児科医をされている柳川悦子先生がお話ししてくださいました。
ご自身も4人のお子さんのお母さまで、上2人のお子さんがそれぞれ障がいをもっています。
お子さんへの声のかけ方やお母さんの気持ちのもち方など、障がい児・健常児に限らず育児に取り入れたい子どもとのかかわり方を、惜しみなく伝授してくださいました。
きょうだいの話もしてくださって、うなずくことがたくさんありましたし、ふたりのお兄ちゃんのお手伝いをたくさんしてくれる弟さんのお話を聞いたときは、じーんときました。
お母さんがそのがんばりをちゃんと見ていて、認めて、「ありがとう」を伝えてきたからこそ、弟さんは自分の育った環境を前向きにとらえることができているのだろうなと思います。
子どもはだれもがお母さん・お父さんから注目されたいと考えるものですが、その注目は、7割くらい向けられると「アテンションもらってるな!」って思えるんですって。
つまり、兄弟姉妹を平等に扱おうとして5割5割の気の向け方をすると、どちらも不満ということ。
ときどきは偏ることで、バランスをとるということなのですね。
自分の子育てについても考えさせられました。
「お母さんがいちばん好き!!」って言ってくれる娘に、「お母さんは○○くん(弟)とおんなじだけ好きだよ!」と返すのは、うん、こりゃ確かにフェアじゃないや。
子どもが満足いくわけないですね。
特に印象的だったのが、一番年上の息子さんの話をしたときに
「息子自身は直接の社会貢献はむずかしいけれども、私を通じて地域社会に為したことは大きい」という言葉(先生は佐野市でもう何年も「こだわりっこの会(発達障がいをはじめとする特性のある子とその保護者を支援する会)」を続けています)。
わたしは小学生くらいのころ、「なんで弟みたいな子がいるんだろう」って考えた時期があったようです。
「あったようです」というのは、父がどこかに寄稿した文章に、「娘が『こういう子がいてもいいんだね。社会には必要なんだね』と言った」みたいなことが書いてあったのを、後から(といってもたぶんもう20年くらい前)に読んだことがあるからで、自分自身はそんなこと考えていたんだかどうだか覚えていないのです。
なんで「こういう子が社会に必要」と考えるに至ったかも全然覚えていません。
たぶん、その質問をしたときに父が納得のいく答えを返してくれたからなのでしょうが。
しかし、先生の先述の言葉を聞いたときに、「なるほど。弟の為したことは大きい」と、すとんときたのでした。
「社会の役に立ちたい」というのは、人間だれしもがもっている欲求なのではないかと思います。わたしの弟は重度知的障害者なので、そこまで考えることができているかわかりません。
でも弟の存在に意義を見出すことで、姉としてはなんとなく落ち着くというか、弟にも、ひいては自分にも、両親にも、価値があるのだと認識できました。
一方で、「役に立つことに何の意味がある?」という考え方ももっていて。
ここ、むずかしいとこですよね。レゾンデートルってやつですか。ちがう?
「きかんしゃトーマス」っていう子ども向けのアニメがありますよね。あれに出てくるトーマスはじめ機関車たちは、“役に立つきかんしゃ”であることが、自分たちの存在理由、使命、価値だと考えているんですよね。
「役に立つきかんしゃになるぞ!」とか「これじゃあちっとも役に立つきかんしゃじゃないや」とかよく言うんですよ。
あのセリフを聞くと、なんとなく苦しくなっちゃうんですよね。気の毒というか。
余談ですけど。
太田市のCSCさんも、佐野市のこだわりっこの会さんも、毎月お茶会や定例会を開いて活動されています。
関心のある方は、問い合わせてみてくださいね。
【CSC】csc.ryoumou@gmail.com 川田さん
【こだわりっこの会】yanaetsu130426@yahoo.co.jp 柳川さん