「障害がある」「障害がない」って、どういうことなんだろう?
先日、「Shirabeに参加するきょうだいさんへ」って、大阪のサンタさんからたーくさん大阪っぽいお菓子のプレゼントがありました!
「大阪っぽい」というところがポイントです(笑)
ああ! 子どもたちの反応が楽しみ!!
内容的に学生ボランティアのお姉ちゃんお兄ちゃんのほうがはしゃぐかもしれません(笑)
それもよし! です(^^)!
前回の記事をフェイスブックでシェアしたときに、
「(うちの「きょうだい」は)弟の身体が不自由だということはもちろん理解しているけれど、障害だとは思っていないみたい」という、親御さんからのコメントをいただきました。
「なるほど、そういうことなのか」と、納得した思いでした。
「きょうだい会」を立ち上げたいと活動し出してから「きょうだい」関連本を何冊か読みました。いろいろなきょうだいさんからの作文を載せたものもあったのですが、ここでよく出てくるのが
「障害者と言われる兄弟姉妹に対して、『障害者』だと思ったことはない」というセリフ。
これ正直、「???」だったんです。
わたしの弟は重度知的障害者です。
身体障害はないです。でも見た感じでもう、知的障害者ってすぐわかるレベル。って言ったら差別的ですかね? 家族だからズバズバ言っちゃってますが……。
わたしには障害のある弟の下にもうひとり弟(健常)がいますが、彼は友人に家族の話をするとき「うちの兄ちゃんは……すげえ障害だよ」って説明するそうです(笑)
わたしは、「そうだなぁ、トイレに行ったり着替えたり、そういう自分のことは自分でできるから『介助』が必要ってわけじゃないんだけど、知的には3歳くらい? もちろん3歳児よりもできることはたくさんあるけど、言葉は3歳児のほうが達者だし、いろいろ含めてやっぱり未就学児くらい。だから、見守りは必要なんだよね」って説明します。
わたしと障害の弟は3歳違いで、物心ついたときには弟は「障害児」でした。とってもかわいくて大好きだったから、障害児だろうが何だろうが「弟」でしたが、わたしにとってはずっと「知的障害のある弟」です。
だから、わたしは逆に弟を「障害者ではない」と思ったことがないんです。
ときどき、「弟が普通だったらどうだったろう? 部活は何に入っただろう? 音楽が好きだから、楽器を演奏したかな」なんて考えることがありました。
ひと通り想像した後に、「でもそしたら、弟じゃない全然別の人だな」って思い直したものです。
だから、「障害者だと思ったことがない」って、どういうかんじなんだろう? 軽度の知的障害だから、そう感じるのかな? それとも、身体障害の方で知的には何の問題もないから、そう感じるのかな? って、疑問でした。
でも今回のコメントをいただいて、「障害だと思わない」ことと「障害があってこそ」というのは、根っこは同じ考えなんだって気が付きました。
つまりは、「すべてを含めてのその人自身」と捉えているということ。
お絵描きが上手とか、運動が苦手とか、そういうのと同じっていうことなのかな、と。「同じ」と言い切ってしまうのは語弊があるでしょうが。
「障害も個性」と言ったりしますが(母に言わせると「きれいごとぬかすな」らしいですが。笑)、そういうことなのかな?
「障害者」という枠にはめず、「個人」として捉えることが生活のなかで自然にできるようになるのは、家族の特権かもしれませんね。
これが「家族の特権」でなくなれば、「個性豊か」な人々が(つまり我々全員が)住みやすい社会になるんだろうな。