「合理的配慮」のオモテとウラ? 12/9福祉講演会で感じたこと

2017年12月9日(日)、太田市宝泉行政センターで行われた福祉講演会「発達障害と共生社会」を拝聴してきました。

 

講師の野澤和弘さんは、毎日新聞社に入社以来、社会部でご活躍。現在は毎日新聞社で社説を書いており、全国手をつなぐ育成会連合会発行の会報誌「手をつなぐ」でもコラムを連載されています。

ご自身のお子さんが知的障害を伴う自閉症だそう。

ファンクラブみたいな方もいらしていましたよ!すごい!

 

ちなみに「手をつなぐ育成会/親の会」の「手をつなぐ」って、戦後、知的障害児の3人の母親が手をつないで立ち上がった、というエピソードから由来されたんですって。

「3」っていう数字にはなんだか特別な力がありますね。シャーロック・ホームズも「3」は特別だって言ってた気がする。

 

警察に障害者について知ってもらおうという「警察プロジェクト」のお話や、そのプロジェクトを後押ししてくださった警察の方の逸話、

東大教授・福島 智さんをはじめ、障害をもっていても社会で活躍する人を紹介しながらの「教育」の重要さ、

さまざまなご自身の経験や社会に起きた事件などを交えてお話をしてくださいました。

 

この講演会でもっとも大きなテーマだったのが「合理的配慮」について。

2016年から障害者差別解消法が施行されました。

差別解消のための措置として

A.「差別的取り扱い」の禁止

B.合理的配慮不提供の禁止

が設定されていますが、じゃあ「合理的配慮」ってなんなのか?

簡単にいうと、「困っている人が困らないように工夫する」ことです。もちろん、無理のない範囲で。

 

「合理的配慮」をすると、障害者だけでなく周囲の人々にもいい影響が及びます。

たとえば、会社の机の幅や奥行き、高さが可動式ならば、車いすの人はもちろんのこと、他の人だって自分の体の大きさに机のほうを合わせることができる。きゅうくつな思いをせずに済みますよね。

スマホもそうですね。操作がかんたん、子どもでもだれでも使えるということは、おとなにも便利なわけです。

 

一方で、障害者に配慮することで不利益を被る人が出てくる場合もある。

身近な例だと、障害者専用駐車場。施設訪問のためのいちばん便利な場所が使えなくなるわけですから、「ちぇっ」と思う人もいるでしょう。

ぜんぜん意に介さず、対象者じゃないのに使用している人もいますが……。

 

以下は、「合理的配慮」がひっくり返っちゃうこともあるってことかな?と思った例。

 

例えば現代では、本は本屋に行かなくても買えます。Amazonなら翌日には届くし、「本」というカタチで必要なければ、電子書籍で購入すれば事足ります。スマホで読めちゃうから荷物も増えないし、超便利。

身体が不自由な方には特にありがたい配慮ですよね。重たい本を何冊も運ばなくていいし、読むときだっていちいちページをめくらずに指一本。

 

でもみんながそうしていくと、町の本屋さんはどんどん衰退していって、なくなってしまいます。すると、Amazonでも買えないし電子書籍で読むこともできない人は、本が読めなくなっちゃう。

少数派のその人たちが不便を訴えても、多数派の人は「じゃあスマホ持てばいいじゃん。そうすれば本、買えるよ」と言う。

いやいや、だからそれができないんだって。と言うと、

「それなら仕方ないよ。我慢しなくちゃ。それか自分でどうにかしなよ。自分の問題なんだからね」

と返される。

 

「多数派」になると、だんだん「少数派」の気持ちがわからなくなるときがくる。

この「多数派」と「少数派」の気持ちのズレ、軋轢が、「差別の核心」なのではないかと、野澤さんは仰っていました。

 

野澤さんが示してくれたのは、すごくわかりやすい例えだと思います。特に本屋に務めていた経験のあるわたしとしては、この本屋問題はずっと考えているところ。

「町の本屋」の役割はコンビニに任せて(もっと充実させてほしいけど)、本屋は今そうなっているように、どんどん大きくなってエンターテインメント化するしかないのかなあ。

と、まあ、別の問題になるからここではやめます。

 

2時間の講演、あっという間でした。

もっとお話を伺いたい!!

仕事柄、文章についてもお伺いしたいことがいーっぱいありました。

まずは御作を読もうっと。

 

読みたい本がどんどん積みあがっていきます……。