「きょうだい会」って、必要なのかな?

こんにちは。銀鏡(しろみ)あゆみといいます。地元・群馬県太田市で、障害児・者を兄弟姉妹にもつ健常な「きょうだい」たちを支援する会をつくるために活動しています(「きょうだい」とひらがな表記をしたら、それは彼らのことを指しています)。

まさか自分がブログを書くことになろうとは思っていなかったのですが、この度「きょうだい会」立ち上げを目指して、記録を残していくためにも書くことにしました。

「障害」に対して「健常」という言葉を使うのも、なんとなく腑に落ちない部分もあるのですが、つけたほうが伝わりやすいかなと思うので敢えて使用します。

 

今までいろいろな方に、群馬県太田市で「きょうだい会」をつくりたいんです、というお話をさせていただきましたが、「障害児のきょうだい」と説明しても、ピンとこない方が多い気がしています。

「障害」という言葉を聞いただけでそっちに意識が持っていかれて、もうすっかり「発達障害や知的障害をもつ子どもの支援」と勘違いされる方も少なくありません。それでまったく話が嚙み合わず……という経験を何回かして、きょうだいたちの存在って、薄いんだな~と身に染みて感じました。

 

「障害をもっている子どもたち」はもちろんのこと、「その子を育てる責任のある親」に対しては、支援の必要性があるということをみんな知っています。実際に親の会のような団体はたくさんありますしね。

でも、同じ家庭で育つ健常なきょうだいに対しては、あまり関心が払われていません。気には掛けているけれど、じゃあ具体的にきょうだいたちに関して、どこに、誰に相談したらいいかわからないというご両親もたくさんいらっしゃいます。

そもそもきょうだいたち自身が、自分に支援(「支援」というからわかりにくいのかな……「心のケア」「支え」「助け」でもいいのかな)が必要だと思っていない、ということもあります。

障害のある兄弟姉妹のことで悩みがあっても、それは自分ひとりで解決しなければならない問題だと思い込んでいている場合もあります。

わたし自身、今も重度知的障害者の弟と一緒に暮らしていますが、自分にケアが必要だと考えたことは1度もありません。なんとなくモヤモヤ~っとした不安感はあったけれど、それはずーっと抱えているものなので当たり前になっていて、しかも直視せずになるべく考えないようにしていたので、特別な問題だとは感じてなかったんですよね。

それでも、近隣に「きょうだい会」があったら、半信半疑でも一応は参加したかもしれません。そしてそこが、自分のモヤモヤした思いを吐露してもいい、受け止めてもらえる、理解してもらえる場であったら。そこで同じ境遇の同じ年頃の友達ができていたら……

きっと、すこしは気持ちが楽だったんじゃないかなあ、と思います。

 

ほとんどのきょうだいたちは、そのモヤモヤした気持ちに自分自身で折り合いをつけて、おとなになっていきます。だから、べつに周囲の助けなんかいらないと思う子も、自分を特別扱いしないでほしいと思う子も、たくさんいます。わたし自身がそうでした。

だから、「きょうだい会」をつくりたいと考えたときに、「本当に必要なのか」という疑問は、つくりたいという気持ちと背中合わせのようにべったり張り付いていましたし、今でも完全に剥がれていません。

いちばんの心配は、藪蛇にならないか、ということ。

 

それでも、30代になった「きょうだい」であるわたしが「あったらよかったのにな」と感じているということからも、やっぱり今現在「きょうだい会」を必要とする人はたくさんいるはずです。

でも、同じくらい要らないと思っている人もいるということは、肝に銘じておきたい。

押しつけにはしたくないんです。特に思春期の子どもたちだったら、「そんなもの……」と感じる子も多いと思います。

でも、10年後・20年後、おとなになったときに家族のことで困ったことが起きたら、「そういえばきょうだい会っていうのがあったな」と思い出してほしい。そして、困ったことや不安な気持ちを分かち合える人がいることを知っていてほしい。

 

「きょうだい会」は、参加しているそのときだけの支えでなく、10年後・20年後につながる活動だと、わたしは信じています。